冬芽ー春待つ心

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花が咲くのは来年の春だと言うのに我が家の梅はもう花芽がすっかり大きくなってきている。これからは枝全体が赤く色づいて来ることだろう。冬芽は春を待ちながら寒さを耐えて冬を越すのだ。その姿は可憐でしかも力強い。

庭の植物を見ていると春が来て春の花が咲くのではなくて秋冬の間から早くも開花に備えて準備をしているのがよく判る。是は上記の梅だけではない。殆ど全ての植物に当てはまるのかも知れない。 秋に紅葉・落葉するのは既に新しい芽が出てきている証拠とも言われるが自然界ではこのような淘汰が休むことなく繰り返されている。

この辺りの事情を吉田兼好は実に上手く書いている。「春が暮れて夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春はそのまま夏の気を生み出し、夏から既に秋の気が通ひ、秋はそのまま寒くなるが、十月はいはゆる小春日和の天気で草も青くなり、梅も蕾を持つやうになる。木の葉が落ちても落ちてから芽が出るのではない。下から芽ばえてきてそれが突っ張るのに耐えきれないで葉が落ちるのだ。変化を迎える気が下に待ち受けているのだから、変化を待ち受ける順序も頗る早い。」
( 吉田兼好 徒然草 第一五五段 今泉忠義訳 角川文庫 )

兼好は是を敷衍して人の生老病死についてこうも書いている。「 生まれ、年をとり、病に罹り、死ぬ、これが移ってくるのはこれ以上に早い。四季はそれでも一定順序に従ってゐる。死ぬ時期は順序を待たないで来る。ー中略ー人は皆死の来ることを知ってゐながら、しかも急にやって来るとは思ってゐないうちに、実に突如として来る。沖の方から突然に潮が満ちて来るのと同じようなものだ」(同上)

先月末浜名湖で或る同窓会に出席したが数ヶ月前に申し込んでいた友人が急に旅立ってしまった、或いは発病(本人、連れ合いなど)して出席出来なかったケースが相次いだ。
まさしく何が起こるか判らない。来年再会を約して別れたが果たして自分が確実に出席できるかどうかは全く自信がない。全ては天に任せるしかないのだろう。

「再会の浜名の秋を惜しみけり 唐麻須」

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生命(いのち)とは我にかかはりなきものぞー窪田空穂

抗ガン剤の点滴を受けながら何とか前向きに生きていこうとしているが八ヶ月経過後流石に副作用が色々出はじめた。今回は先々週から血圧が異常昂進(ここ数十年135前後だったものが突然160-190に) 医師に確かめたところアバスチン(腫瘍ブロック剤)にはこのような副作用があるとのこと、早速降圧剤を貰って飲み始めたが服用1週間後から下降傾向が出はじめ漸くほっとしている状態。今回の異常事態のため以前から計画していたパソコン仲間との琵琶湖全国オフも土壇場でのキャンセル(仲間ではこれをドタキャンと称しているが)をする始末となり仲間にも迷惑を掛けたが本当に情けない思いをした。将に「自分の身体が我が物にして我が物ならぬ」思いだ。

(老身病む)
「生命とは我にかかはりなきものぞ我が物にして我が物ならぬ」(窪田空穂ー木草と共に)

空穂晩年の歌であるが(89歳10ヶ月で逝去する3年前の作)長い年月を生きてきた人のしみじみとした思い。「 生命とは天からの授かり物、決して粗末にするな」とは両親から口を酸っぱくして聞かされた言葉だが幼少の頃から体が弱く20歳までもつかと心配された空穂が86歳にして作ったこの短歌にひときわ共感を覚えたことであった。老齢にもめげず多彩な創作活動を成し遂げた人でも病には勝てず自分の身体が思うようにならない歯がゆさ・・自分の身体であって自分の身体ではないとつい弱音が出る。授かり物だけに余計に自分ではどうにも出来ぬ忸怩たる思い。

自分の物であって自分の物でないこの身体をいかに天意に沿って永らえさせてゆくか、いかに生を全うできるか・・色々考えながらジムで汗を流し、読書や俳句作り、パソコンに向かう毎日だ。

「過去は忘れ未来は知らず永久の一瞬一瞬生きて息づく」(窪田空穂ー清明の節)

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民の心ー上に立つ者への戒め

韓国ドラマ「商道」(サンド)が終わってしまった・・毎日(月ー金)の放送を録画して楽しんでいたのだが。主人公イム・サンオクという少年が父の叶わなかった通訳官の夢を目指して懸命に勉学に勤しみ清国語も体得すべく励んでいたが、父が商いを始めるに至ってその手伝いをする過程で父が誤って殺されてしまう。これを機に彼は通訳官の夢を諦め一流の商人になるべく様々の障害を乗り越え、頭角を現しやがて朝廷の信頼も得て朝鮮商業界のトップにまで登り詰める出世物語だ。

物語の中で主人公イム・サンオクがここまで出世するに当たって心がけた三つの誓い
1.民を愛する心を決して失わない。
2.一流の商人とは財を築くことではなく立派な人材を育て残すこと。
3.名誉やその他の欲望を断ち切ること。
に非常に心を打たれた。

昨今汚職、偽装その他生臭い事件が相次いでいる中で重責を担う人たちが平然と評論家的発言をする例が後を絶たない。偶々兼好法師の「徒然草」に次のような含蓄のある言葉が書かれていた。
「盗人を縛って悪事ばかりを罪するよりも、世の中の人が飢ゑたり凍えたりすることのないやうに、世の政はとってほしいものだ。誰でも生活にことかかない程度の財のない時には、善心を保ち続けることができない。誰でも困窮したあげくは盗みをする。世の中が治まらなくて、凍えたり飢ゑたりする苦しみがあると、罪人は絶えるはずもない。人を苦しめ、法を犯させるやうにしむけておいて、それを却って罪に陥れようとするのは、かはいさうなしわざだ。
それなら、どんな方法を以て人に恩恵をほどこさなくてはならないかといふと、上に立つ人が贅沢をしたりむだ費ひをするのをやめて、民を大事にして農耕に勤ませたら下々の者に利益のあることは疑ひのあるはずのものでない。衣食が世間の人と同じようにやっていけながら、その上悪事をするような人間は、真の盗人といっていいのだ」
(吉田兼好 徒然草 第142段、今泉忠義訳 角川文庫)

現在の飽食の世の中では飢えに苦しみ凍える人は法師の時代ほど居るはずもなく今時に合わぬ箇所もあるが1ヶ月40時間しか使わない公用車をふんだんに抱え、年金処理は杜撰きわまりなく、聖域にある教職員の賄賂三昧、或いは浜の真砂に近い偽装食品事件などを見るにつけこの国では上に立つ人で「民の心、苦しみ」を本当に理解している人が居ないのではないかと思わせるばかり、是では真面目に生きている民は浮かばれない。兼好法師の言葉をこの人達に聞かせたいものだ。 

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ウィーン 我が夢の街

ズイーチンスキー 作曲のこの歌を初めて聴いたのはアルゼンチンのタンゴ歌手カルロス・ガルデルだった。その流れるような甘い歌声、郷愁たっぷりの歌を聴いたときの感激を未だに忘れることが出来ない。

ウィーンへは仕事で2回観光で1回と合計3回訪れたがあの優雅で上品な街並み、シェーンブルン宮殿、シュテファン大聖堂をはじめとする豪華な建物、バベルの塔を描いたブリューゲルの絵画が展示されている美術館etc何度訪れても飽きることがない。また訪れた際はこの「ウィーン 我が夢の街」の曲が脳裏を離れない。

偶々先日NHKハイビジョンでウィーンフォルクスオーパ、メラニーホリデイ演奏会の様子が映し出されメラニーが歌った「 ウィーン 我が夢の街」を聴いて新たな感動を覚えた。同時にカルロス・ガルデルの歌では判らなかった日本語の歌詞がテロップで流されこの曲のイメージが大きくふくらんだ。

著作権の問題で全曲転載できないのが残念だが1番では「我が家も同然のウィーンの街の素晴らしさを讃え万一ここを去らねばならないとなったら恋しさが募るだろう」と歌われ2番では次のように続いていく。

「私の意志にかかわらず
いつか この世を去らなくてはならない
この幸福ともお別れなのね すべてに終わりがあるのだから
いや私は消え去りはしない
天に昇り 腰を下ろすの ウィーンを眺めるために
シュテファン大聖堂が見上げて あいさつして呉れる

遙かかなたから 聞こえてくる歌声
その調べは心に響き 私を引きつけてやまない
ウィーンウィーン あなただけが
私の夢の街になれるのよ
その古きたたずまい 行き交う愛らしい娘たち
ウィーンウィーン あなただけが
私の夢の街になれるのよ 幸せに浸るところなの
あなただけが私の夢の街になれるのよ
ウィーンウィーン 私のウィーン」(NHKハイビジョン放送 テロップより)

「いつか この世を去らなくてはならない、この幸福ともお別れなのね、すべてに終わりがあるのだから」と歌詞を読んで気付いたのは作曲家ズイーチンスキー、ないし作詞家の頭の中に死後の世界がじつに明るく描かれていているということだ。「そもそも造物者は私を大地に載せるためにこの体を与えてくれ、私が苦労するために生命を与え、私が安らぐようにと老を与え、そして休息させるために死を与える」とは荘子の言葉(老子・荘子 野村茂夫訳 角川ソフィア文庫)だが天国で腰を下ろしてゆっくり休息しながらウィーンを眺める・・その発想が東洋的で明るく面白いこの歌が一層身近に感じられるようになった。

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木にまつわる話(その4)

またまた「あの青い草原の上で」の主人公チャ・テウン。「木は黙々と長く生きて万物をあまねく見守っている。私はそのような木になって枝を大きく広げ葉を一杯繁らせながら何時までも貴女を見守りたい」・・・胸部の中皮腫癌を宣告され、まさに遺言とも言える語りの中で愛する妻ヨノに伝えた言葉。このドラマの原作者が誰かは知らないが、東洋的な自然観がそのベースにあつたのかも知れない。輪廻転生の思想から始まって万物に神が宿る、太陽、山や森、自然の全てに神が宿り、これを敬うことによって自然のもたらす危害、降りかかる災害から自分を守ろうとする、つまりここでは人間は自然と一体、自然の一部となっているのであろう。

先のフィンランドの人々の生き方、更に我が国ではアイヌの人々を始め多くの人々がこのような自然、樹木に対する深い信仰を未だに守り続けている。「アイヌに於いては木や草は植物ではない。少なくとも我々の用語の意味に於ける植物ではない。アイヌの考え方に従えば獣や鳥や虫が神であるように、木や葉もまた神なのである。」{知里真志保博士「 分類アイヌ語辞典」序文  姫田忠義「樹木風土記」より引用}。

一時河瀬直美監督の映画「殯の森」がカンヌ国際映画祭の受賞で大きな話題となったが殯の儀式は古くは天皇家所縁のものであったらしく天武天皇崩御の際は飛鳥浄御原宮の南庭に殯の宮を設け何と2年3ヶ月に亘って殯の儀式が行われたらしい{北山茂夫 「万葉の時代」 岩波新書}がアイヌの場合は殯が人里離れた水辺、森林の奥まった場所で行われたらしい。「人は死んでも、魂は直ぐにあの世へ旅立たない。死者の魂がおさまり完全に冥界に入るまで縁者達は殯を続けなければならない。死体が腐乱し白骨となったとき始めて死者は旅立つ。最後に残った骨にはもう霊がついていないから安心して墓に埋葬する」{熊谷達也「まほろばの疾風」集英社文庫}

話しは全く変わるが世界遺産に指定された白神山地のブナ林はその抜群の保水力から周囲の自然、動物の生態環境のみならず、栄養分のある豊かな水は日本海に流れ出ることによって農作業のみならず沿岸漁業の大きな支えにもなっている。斯様に重要な働きをする樹木、森林の自然破壊が現在世界的に大きな問題となっている。豊かな自然、森林の保全、保護は我々人間がこれからも安全に生きていく上で絶やすことなく続けて行かねばならない急務になってきた。

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「無用の用」 木にまつわる物語(その3)

社の櫟の大木を見て大工の棟梁がつぶやいたそうな。「こんなに大木になったのは役に立たないからだ。是で船を造ったら直ぐに沈むだろう、棺桶にすれば直ぐに腐るだろう、道具を作ると直ぐに壊れる。あのような大木になるまで長生きが出来たのは役に立たないからだ」。
是を聞いた社の櫟が棟梁の夢に出てきてこう言ったそうな。「世間に役立つと言われた梨、橘、柚など木の実草の実のたぐいは、熟するともぎ取られ、辱めを受ける。大枝はへし折られ、小枝は引きちぎられる。これらは自分の取り柄で自分を苦しめているのだ。天寿を全うすることもならず、中途で若死にすることになる。自分は世の中に重宝されないように生きて来、自分にとっては有用な生き方をしてきた。もし私が役立つ木ならどうしてこれほどの大木になれようか。万物は皆同じ価値を持つはず、役に立つとか立たないとかの評価は誰にも出来ないはず」(「荘子」人間世編 野村茂夫訳 角川ソフィア文庫)

何時だったか脚本家 山崎陽子さんの言葉で父親が小さい頃から娘に「人間には必ず一つや二つ他人様が持っていない力があるものだ、だから他人様と同じことが出来なくても決してくじけることはない、決して諦めては不可ない」と教え、娘はその言葉を終生の宝として是まで幸せに生きてきたという。

過去2回ほど救急車で病院に運ばれたことがある。2回とも急性の目眩、特に2回目は通勤時に目眩が起こり近場の駅で駅員さんに事情を話して病院入り。2、3日検査を受けるも原因不明、退院後大学病院を渡り歩いた結果原因が頸椎の老化、軟骨の摩耗によるものとの判定を受けた。当時子会社の役員をやっていたのだがここで無理をして仕事を続ければ必ず同じ様な災難に見舞われるかも知れない、身体を完全に痛めてしまうかも知れない、連れ合いや結婚を控えた娘からは元気な身体でいて欲しいと懇請され結局会社を休職することにして治療に専念した結果目眩の再発はなく今日に至っている。もしあの時無理をして会社に居残っていれば今日の元気な身体は保持できなかったかも知れない。娘から「お父さんがいなくても会社は回るのよ」の一言が無ければ今日は無かったかも知れない。

結局自分を無にする事で会社にも迷惑を掛けずに現在の幸せが得られたとすれば「無用の用」の言葉の持つ深み、有り難みが判る、私にとって座右の銘ともすべき金言だ。

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日比谷公園 松本楼

Mato015月八日の朝日新聞は来日した中国国家主席 胡錦濤氏と福田首相との最初の夕食会が日比谷公園レストランの松本楼で行われた旨報じていた。

{松本楼は中国の「国父」として敬われている革命家・孫文が亡命中に足繁く通った店。日本人実業家・梅屋庄吉が同店に知人を集めて孫文の人脈作りに尽力し、孫文はここで得た資金などを元手に革命を指揮したとされる}(同記事より)

現在病気治療のため各週ごとに東京慈恵医大(新橋)に通っている。JR新橋駅が最寄りなのだが一駅前の有楽町駅で降りて宝塚劇場、帝国ホテルを抜けて日比谷公園で一休みし霞ヶ関、愛宕通りを通って病院に達するのが私のウオーキング・コースとなっている。

日比谷公園は明治36年、皇居の南に日本で最初に都市計画により誕生した洋風の近代的な都市公園といわれ、霞ヶ関、銀座、新橋に接し、ビジネス街の緑のオアシスとして大いに利用されている。四季の花も見事だ。
(http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/hibiya/kouenannai.html)

公園には噴水広場や花壇 、雲形池、銀杏並木等見るものが実に多いが季節ごとに移り変わる花や景色を一通り楽しんだ後に必ず松本楼で一服する。ここのケーキやコーヒーが実に美味い。現在の松本楼は明治36年(1903)に建てられたものが昭和46年秋沖縄デーの大混乱の中放火により消失したため後全国からの支援も受けて昭和48年に再建したもの。白亜の壁が緑に映えて何とも美しい。

大都会のど真ん中にこのような緑の空間があり、且つ松本楼のような歴史を背負つた建物が現存すること、緑に囲まれながら美味の珈琲や菓子、時には豪華なランチが味わえる私にとっては将に別天地、闘病生活の癒しともなってくれている大切な場所だ。

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「生きたいと思い切り泣け」ー或る投書から

先日の朝日朝刊に1,190グラムの未熟児を出産した31歳の若い母親がこんな投書を載せていた。{とても小さくて触れただけで壊れてしまいそうだった。でも保育器の中で懸命に息をしていた。おっぱいが欲しい、眠い、オムツ替えて、抱っこして、と泣いて訴えたー最近いじめを苦に自殺する子が多い。その前に一度ひと思いに泣いたらよい。誰の前でも思い切り泣いてみたら、きっと「生きたい」という心の奥底に眠っていた気持ちが顔を出す。ー泣くと言う行為は万人共通。うれしい時、悲しい時、悔しい時「泣く」ことで 思いを伝える。一種の言語だ}

「小児の泣くと言うこと、制せずに泣かすがよし。其の児成長して後、物いひ伸びらかになるもの也と同じ尼の物語なりー泣きたいほど泣かせる事が言いたいことを何でも言いうる技能の養成法として大いに注目したいものだ」(柳田国男「涕泣史談」)

{泣くと言うことが一種の表現手段だと言うことを現代の有識人は忘れているのではないか。言葉を使うよりももっと簡明かつ適切に、自己を表出する方法として是が用いられていたと言うことを学者は気づいて居ないように思われる}と柳田国男は「涕泣史談」の中で書いているが上記の母親は自己の経験から子供が「泣く」事を表現手段として本能的に捉えていた。現在2歳に成長した娘を前にして子供の健やかなる未来を願ったこの母親の必死な気持ちには大いに心を揺さぶられた。

「男の子は泣くものではない」亡くなった母親の言葉を私は今でも忘れはしない。厳しい母親だったから、又生活が苦しかったから「甘えること」「泣くこと」は許されなかった。それでも四六時中泣いていたような記憶がある。思いっきり泣くことで却って心がすっきりする・・このような経験は誰にもあるのでは無かろうか。

東大大学院で「死生学の構築」プロジェクトを担当されている竹内整一氏は「悲しみの復権」として「悲しみの感情や涙」は決して否定的なものではなく、むしろ「心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となる」、これからはこうした感情をあらためて「正当な位置」に復権させることが必要と主張されているが「徹底的に悲しむことが新しいエネルギーを生み出す」とはまさしくあの生まれたばかりの嬰児の生きざまにも繋がる話しではなかろうか。

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木にまつわる物語(その2)

太陽が持つ恵み、その恩恵を最大限に受ける山や森と言った自然。自然は単に恩恵だけではなく災害をももたらす人間にとっても手強い存在。それだけに自己の身を守るため自然に接する態度も必然的にこれに神の存在を結びつけて考えざるを得なかったようにも思われる。

「日本は国全体が山で覆われた山国。平地は川の氾濫などによって安全では無い故日本で暮らす以上人々は先ず山で暮らさなければならなかった。山の周辺に暮らす人々は狩りをするにしろ焼き畑をするにしろ、或いは木地師のように樹木そのものを相手にするにしろ、絶えずその地域の中心になる山を意識せざるを得なかった。ミタケやモリの信仰、つまりは山の神の信仰はそういうきわめて切実な生活的実感の中から生まれたものであり、日本へ仏教などが入ってくるはるか以前から日本人の心の中に育まれたものである。ミタケやモリに対する信仰からそこにある一本一本の樹木に対する信仰へ。その移り変わりの裏には、人々の生活がより細かく山へ浸透してゆく歴史の推移が感じられる」
(姫田忠義 樹木風土記 未来社)

富士山の樹海、屋久島の原始林にはいまだ入ったことはないが森の中に入ると不思議に心が安まる、癒される。これは森の樹木が放つ「フィトンチッド」という香りが主因と言われる。

「森林の香りの正体は『フィトンチッド』。森林の植物、主に樹木が自分で作りだして発散する揮発性物質で、その主な成分はテルペン類と呼ばれる有機化合物です。この揮散している状態のテルペン類を人間が浴びることを森林浴と言うわけです。
「フィトンチッド」はからだをリフレッシュさせるだけではありません。抗菌、防虫、消臭などのさまざまな働きがあり、フィトンチッドを上手に利用することによって、わたし
たちの生活を健康的で豊かなものにしてくれます。 たかが木の香りとはあなどれません。森林や木には、神秘的で不思議な力が隠されているからです。それは『森林の精気』と言い換えてもよいでしょう。」以上(http://www.phyton-cide.org/info.what.html#神秘的で不思議な力)より引用 。

森林の精気は森に精霊が宿るという考えと同義かも知れない。フィンランドの人々が松の木に宿る精霊に樹皮を剥いで家族の生死の年月日を彫り込むのはまさに家族の安全と死後の幸せを祈ってする神聖な儀式の様なものであろう。

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女の咲顔(えがお)

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5月25日放送のNHK大河ドラマ「篤姫」の 一シ-ン。篤姫が将軍の側室と語る場面。お志賀の方の咲顔(えがお)が将軍のお気に入りとかで、常に笑みを絶やさず話しをする鶴田真由さんの演技が光っていた。

鶴田真由さんは俳優でありながら現在横浜で開催中のTICAD(アフリカ開発会議)の親善大使としてスーダン、ケニヤなどへも出かけて立派に任務を全うされている魅力的な女性。冒頭の写真は政府公報のもので朝日新聞に掲載されたものから引用させていただいたがその笑みには万人を幸せにするような力があるように思われる。

柳田国男氏がこの女性の笑みについて興味のある随筆を書いている。「子供が誕生した際地方によっては高盛りの飯を炊いてお祝いをするらしいが女の子の場合はご飯の両横に指や箸の先でつついて二つの穴をあけたらしい。こうしておくと大きくなってからその児の頬にエクボが出来ていわゆる愛嬌良しになる。その児が美人だろうが不美人だろうが関係なく女性のエクボ、ホホエミはそれだけで美しいというもの、エクボが愛される理由はそれが憎しみの防御になり愛の誘因にもなるからと。{「女の咲顔」1943年「新女苑」掲載}

手元の古語辞典に依れば「ゑむ」には「笑む」と「咲む」の二つの漢字が当てられている。
エクボに醸し出される微笑にふさわしい言葉を選ぶとすれば後者の「咲む」かも知れない。何故かというと柳田氏の解説では「中国ではエムとワラフの区別がつかぬ為両者が混同されて使われていてエミを恰もワラヒの未完なるもののように思われていた。「栗がエム」という場合刺のある外皮が割れて、中の実が割れること、ワラフは恐らく割るという語から岐れて出たもの。従い口を大きく開けて笑えば場合によっては優しい気持ちが伴わない、従って笑われる相手のあるときは不快の感を与える、一方エムにはいかなる場合もそう言うことがない。ワラヒには必ず声があり、エミには声がない」とか。

上記の随筆を解説の長谷川政春は次の様に見事に纏めておられるのでここに付記すると「エミには悪意も声もなくて目で見るものであり、ワラヒには悪意も声も伴って耳で聞くものである。またホホエミはこの世を平穏に送っていけるために、女性に具わった自然の武器だ、といい、咲顔は笑いの先触れでも準備でもなく、その反対に笑うまいとする慎みの一つであった」{遠野物語 集英社文庫 解説)

エクボに依る微笑「笑顔」を敢えて「咲む」と言う字を使い分けている柳田氏の解説を読むと同じ微笑にも深い意味がある事に気づかされる。篤姫のシーンでお志賀の方のホホエミが篤姫の心に微妙な陰影を持たせいわば「女の闘い」がこれから始まる訳でいよいよこのドラマから目が離せなくなってきた。

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木にまつわる物語(その1)

それは 非常に悲しい出来事だった。私の住む埼玉県郊外のJR駅舎の立て替えに伴って周辺の木々が伐採されていた時の光景だ。母親に抱かれた2ー3歳ぐらいの女の子がケヤキの大木がクレーン車で引き倒されているのを見て大声で泣き叫んでいた。今まで通勤客の心を慰めてくれていた大木が駅舎の改築のためとはいえかくも無惨に切り倒されるとは。心傷むこの瞬間を幼い女の子はどのような気持ちで眺めたのであろうか。恐らく母親からも言われたに違いないが幼い心を痛めたあのむごたらしい木の殺戮行為に幼子は屹度動転して泣き声を上げたに違いない。

誰もが「木にまつわる色んな思い出」を持っていると思う。小学校舎の側のケヤキの木、運動場の大きな樫の木、旅行途中に見たあの大きな菩提樹の木。木に耳を当てれば地下から水を吸い上げる呼吸が聞こえるに違いない。木陰で色んな思い出を作ったに違いない。まさしく木は我々人間と同じく生きている。長い年月を生きて我々を見守ってくれているに違いない。生きているが故に昔から人間と木々にまつわる色んな物語が子々孫々に伝えられて来たのだろう。

フェリス女学院理事長の小塩さんは「異国の古都にいても私の瞼に浮かぶのは、信州戸隠山から西のほうに広がるすばらしい樹海だ。日本アルプスを歩きなれる前の私は、少年の日々に戸隠のお山の1904メートルの頂から、何度あの樹海を見おろして、胸をふくらませたことだろう。遠く沈みゆく夕日を追って、鳥のように飛んでいきたいと思ったものだ。いまもあの樹海の木々は、すこやかでいるのだろうか」と書いている。(小塩 節 木々を渡る風、新潮社)

一方フィンランドでは農耕に従事する人は自分の森の中に好きな木を見つけておいて悩み事があったり、嬉しいことが或る度にその木に触れ或いは抱いて話しかける習慣があるらしい。又生命力の強い松の木は森の木々の中でも特に聖なる木として扱われ家族は自分の木を持ち樹皮の一部をはぎ取ってそこに生死の年月日を彫り込んで残すとか。(NHK 里山紀行 フィンランドの森)

このように樹木、森林には単に木が生きていると言うだけでなくそこに聖なる神が宿る、いわば精霊が宿るという信仰がある。作家 夢枕 貘の西行物語「宿神」に描かれたのもこのような精霊の一つだったのだろう。駅舎の木の伐採を見て泣いた幼子の目には 尊い命が抹殺される、神を冒涜する行為に映ったに違いない。

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風と水と死と

今評判の韓国ドラマ「あの青い草原の上で」を見ていて、あれ?・・と思ったことがある。主人公のテウンがヒロインのヨノに対し自分の愛が永遠のものである証に「例え自分が死んでも風や水のように何時までも貴女の側を離れない」と告白したシ-ン。韓国に於いてもこのような考え方が? 風は判るような気がするが水は?

風について
今多くの人が心を込めて歌っている「千の風になって」の如く洋の東西を問わず「風」は「死」と密接な深い意味を持つのであろうか。死後の世界で人は例えば星や鳥、虫や風、その他ありとあらゆるものになり変わると言う考え方は仏教はじめ多くの宗教の説く所だが特に「風」と言う言葉の持つ不思議な力が人々の共感を得て「死んだ後でも風になって見守っている」と信じさせて呉れるのだろうか。

英語で書かれた原詩(作者不明)を極めて判りやすい日本語に翻訳した新井満さんは「風」の持つ雰囲気を「死ぬっていうのは、何か暗く冷たい所に押し込まれる、墓穴の中に監禁されるイメージ。所が風になって、自由自在に大空を吹き渡る。これは又楽しそうで、死ぬと云うことにじたばたしなくなった」と朝日新聞に自身の言葉を載せている。つまり風の持つ大きな生命力がこの詩、この歌を今日多くの人が愛唱する原動力になったのかも知れない。

死後の世界のことはソクラテスではないが誰も経験したことがないから判るはずは無い。然し死後例えば虫になるかも?と考えたら誰もいい気はしないに違いない。だから風の持つイメージが大受けしたのかも。死後の世界においても美学を好む・・人間の人間たる所以だ。

水について
死と水が近いのは水がもつ柔らかさではないだろうか。加島祥造が邦訳した「タオ 老子」に「水というのは全てのものを生かし、養う」という言葉がある。又鈴木大拙も「東洋的な見方」の中で「やわらぎは生の感覚である。生命は柔らかなものに宿る。死はこわばる。嬰児の柔らかさと老人のこわばりを比較してみればわかる」と書いているが「水」が「生」の象徴だとすれば「水」になって愛する人を見守ると言う考えは前述の「風」に通ずるのかも知れない。

「風」も「水」も「生」の象徴と考えればテヤンの愛の告白も極めて自然な表現と言うことになる。東洋人である我々には日本人たると中国人、韓国人たるとを問わずその依って来たる根源にこのような考え方が自然に備わっているのかも知れない。

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今をしっかりと生きるために

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「私は生まれてこのかた進んで善を修める志を持ち一度も罪過を犯した事はない。同時に私は仏・法・僧を尊び日日勤行に励み、諸神を尊重し、一夜としてつつしまなかった事はない。然るに私は一体何の罪によってこの様な重病(痾)(後註)を得たのだろう。
今年74歳で頭髪はすでに白さを交え、体力は衰えている。老齢に加えてこの病がある。手足は動かず、関節は全て痛み身体は大変重くて鈞石を背負っているようである。
老と病が誘いあうかのように朝夕にわが身を侵して競いあっている。もし不幸にして長寿を得られないなら矢張り一生病気に患わされる事のない事をもって大きな幸せとすべきであろうが、今私は病気のために悩まされ寝起きも思うようにならない。不幸の最たるものが全て私に集まっている。 世に「人が願うと天も応ずる」という。もしこれが真実なら、どうか伏し願うことにはすみやかにこの病気を取り除き平生のように幸せであって欲しい」{山上憶良 沈痾(ちんあ)自哀の文(万葉集巻五)より抜粋、中西 進「万葉集」講談社文庫(註)痾(あ)ーこじれた病気}

およそ1,300年前の天平万葉の時代、あの貧窮問答歌で有名な山上憶良によって書かれたこの一文が二十一世紀の今日でも何と切々と心に響いてくることか。宮廷歌人であり遣唐使まで勤めた憶良にしても忍び寄る病にはなす術が無かったのだろうか。ブッダではないが山上憶良に限らず人は生老病死ー生まれたからには或いは長く生きれば生きるほど病苦に悩まされるものだ。

今年の年賀状で私は高浜虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」を引用して、老病死に向かって続く一本道を夫婦二人互いに助け合って歩いて行くつもりだと書いたが巷に云われる如く「生の完成」した姿が「死」であるにしてもそれに至る過程で老・病をさける事が出来ないのが人間の宿命というものであろう。

現に私の場合、それまで身体には人一倍自信があったのだが3年前の1月古希を祝ったのも束の間そのすぐ後の人間ドックで引っかかり2月に直腸癌(6.5センチ切除)11月に肺癌(左肺1/2切除)と年2回も手術を受ける事になった。幸い2回とも術後の経過が良く体力は順調に回復、週に3-4回はジムにも通えるようになり、この分では癌ともおさらばか・・と思っていたのだが丸2年経過した昨年11月末今度は右肺中葉に転移が確認された(この間抗ガン剤を毎日服用していたにも拘わらず)。年末よりの度重なる検査の結果今回は場所的に手術不可能との判定が下され、今年2月からは腫瘍ブロック剤(アバスチン)、抗ガン剤の点滴治療を月2回のペースで受ける羽目に立ち至った。

私も山上憶良のように人一倍健康に気を配り人並みに運動もし努めて真面目な生活を心がけていたのに、どうしてこんな目に・・・と嘆きたくもなったが憶良のごとく嘆いてばかりでは前へ進まない、ここで負けてはならじと今後の生き方を色々考えた結果先ずは「食事革命」に取り組むことに。日常生活を真面目に生きてきて何故こうなったかとつらつら考えて見るに、もう残っているのは食事内容の見直ししかないのでは?・・と考えた結果である。

偶々前回入院時知り合った75歳の男性から玄米食の良さを教えて貰い・・そうだ、これから始めよう、食生活を玄米食、魚、海草類、有機食品を中心とした食事に切り替えてみる、つまり私にとっての「食事革命」の開始である。

食事革命と云っても特別なものではなく日日の食事から肉、卵、牛乳と言ったガン細胞を育成・増殖させるような食材を排除し、免疫力をアップする体内酵素(エンザイム)を増加させる食品つまり玄米、魚類、有機野菜、海草、納豆・豆腐に代表される大豆食品などに切り替えるだけの事である。

前回退院の3月7日から早速玄米食に切り替え今日で約3週間経過したが短期間にも拘わらず既に排便にはっきり効果が出てきたのには正直驚いている。私としてはこの食事革命によりこれから一年後、三年後に腫瘍がどうなっているのかをチェックするのが大きな楽しみとなって来た。この効果を確かめるためにもガンに負けずにしっかりと毎日を生きて行きたい。

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ねがはくは花の下にて・・西行法師

朝日新聞朝刊連載の夢枕 貘「宿神」が終わった。「宿り神」に寄せて夢枕 貘が西行法師に思いを託した読み応えのある小説であった。祖父から教わった蹴鞠、平清盛との交友、待賢門院璋子との交わり、怨霊の登場などなど物語の世界も広くいかにも夢枕 貘の面目躍如と言った楽しくて切ない物語であった。古来我が国では太陽、自然に対する畏敬の念、信仰心が強く、又呪術などにも造詣の深いものがある。「宿り木」と言われる植物と同じように「宿り神」が考えられても不思議ではなく夢枕 貘は是を西行法師の生涯に結びつけておどろおどろした近頃珍しく面白い小説に仕立て上げた。

これまで多くの人が西行法師を取り上げてきているが白州正子(随筆「西行」)も 夢枕 貘も極めて魅力のある人間として西行を見ているが故にそれぞれ見事な随筆、小説に仕上がったのだと思う。

「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃」

山家集にも載っている私の好きな歌だが西行は桜をこよなく愛したことでも知られている。西行にとって桜の花自体を詠ったものは別として歌の中では桜が自分とは身分の違う高貴な方を暗示しているのかも知れず、桜を通じて思いの丈を伝える手だてとしたのかも知れず、仏門に入ったにも拘わらず世俗に紛れ待賢門院璋子が亡くなってからその後を追うように嵯峨野、吉野に庵を結び、ついには河内長野の弘川寺でその生涯を終えた。

白州正子は随筆「西行」の最後にこう書いている。
「西行が仏教の聖者の如く祀りあげられているのは「ねがはくは」の歌によったのはいうまでもないが、当時としてはその方が通りがよかったし、今でも一派の人々はそう思っているようである。だが西行の真価は、信じがたいほどの精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世の定めを歌ったことにあると私は思う」。

(註)
作者夢枕 貘が「宿神」について1月24日の朝日新聞朝刊に下記のような記事を載せておられたので追記します。
{「宿神(しゅくじん)」又は「石神(しゃくじん)」、宿神すなわち日本最古層の神にして縄文の神ーすべての自然物、あるいは自然現象の背後にこの神がいる。別名翁。}

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万葉びととの対話ー上野 誠 

NHKラジオ第二放送・・奈良大学上野教授 の万葉集講座を毎回楽しんでいる。今年十月に始まって既に11回を終わりあと2回を残すのみとなった。毎回非常に面白い解説で万葉集が極めて身近なものになったがとりわけ第八回の「揶揄と笑い」が特に面白かった。

之は万葉人が楽しんだ歌垣(広辞苑によれば「上代、男女が山や市などに集まって互いに歌を詠み交わして舞踏して遊んだ行事」とある)とも言えようか、大友家持と紀女郎との掛け合いが紹介されていた。上野教授によると大友家持は実に十二、三人の女性と恋歌のやりとりをしていたとか、このうち坂上大嬢と紀女郎とのやりとりが最も多いという。

ここでは後者の紀女郎との機知に富んだやりとりが取り上げられていた。(口語訳は上野教授による)

大友家持「鶉鳴くふるさとならにおりました時分からあなたさまのことをお慕いもうしあげておりましたが・・・どうしてこんなにもお会いする方法がないのでしょうか?ご無沙汰お許しください。」(巻四の775)
紀女郎「いったい最初に付き合いたいと言い出したのはいったいどちらの方でしたっけ、山の小さな田んぼの苗代水のように今は二人の中は停滞中 最近ご無沙汰ですこと」
(巻四の776)

男性は逢う機会が無いとこぼしながら実は他所で浮気などをしているかも知れないのだが、女性はそれを百も承知で、敢えてそれをなじろうともせずじんわりと言い返している。山の水は冷たいので水路を長くして温めるのだがその一方で長すぎるが故に途中で停滞する・・ご無沙汰続きをやんわりと苗代水の停滞に例えて相手に反撃している、徹底的にやっつける事はせずに相手をからかいながらうまく切り返している・・・電話、メールなど通信手段がない時代、それなりに考を練って言葉の遊びを楽しむゆとりが古代人、万葉人にあったとは・・・色々考えさせられる講義であった。

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写生の心ーー横山大観の言葉から

高校の友人が米子にある大観の足立美術館を訪問、そこに展示されていた「大観の言葉」をメールで送ってくれた。絵画をたしなむものにとって極めて有益な言葉だが俳句を作る上でも非常に参考になる。

大観の言葉の一部に「富士の名画というものは昔からあまりない。それは形ばかり写すからだ。心とは畢竟人格に他ならぬ。それは又気品であり、気魄である。富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描がかねばならぬ。」又「東洋には墨絵と申して墨一色だけで描く絵がある。これは作者の性格の高下、思想の深浅乃至清濁等に至るまで此の墨一色によって端的に現されるものである。墨には五彩がありと申すが、墨はただ墨一色でありながら其中には濃淡渇潤の千変万化があり、これが色彩以上の複雑さを現して、色彩を超絶したる実在感を端的に微妙に表現するのである。」

つまり描く人の心、人格が出ていなければ作品にはならない。これは何と厳しい言葉だろうか。「作者の性格の高下、思想の深浅乃至清濁等に至るまで此の墨一色によって端的に現されるものである。」墨の色に性格まで出るとは、またそこまで観察、見通すとは矢張り凡人の技ではない。俳句の場合も具象を通して自分の思いを伝えなければ、単に自然を詠っただけでは駄目だとよく言われるがそれも畢竟同じ事を言っているのであろう。

これに関連すると思われるのが禅の修業だ。{禅院は通例山林の間に在るので、そこに住むものは「自然」に密接に接触をする。そして、自ずから親しさと同情を以て「自然」にまなぶことになる。彼らは鳥や動物や岩や川やその他市井の人々が気づかぬままにある自然物を観察する。それは単なる博物学者の観察ではなくて、禅僧たちはその観察する対象の生命そのものの中まで入り込まねばやまぬ。だからいかなるものを描いても、かならず、彼らの直感を表現することになって、「山や雲の精神」がその作品のなかにおだやかに息づいているのを、感じることができるのである。}(鈴木大拙「禅と日本文化」岩波新書)

雪舟などもそうだが、観察し、観察し抜いてそこに対象の持つ心まで見抜こうとし、又それを通じて自分の心を表現するところから偉大な作品が生まれるのだ。

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朱蒙ー韓国古代史

最近BS8チャンネルの連続ドラマ「朱蒙」にはまっている。 「朱蒙」は古代朝鮮を舞台に、気弱で頼りない王子が、高句麗を建国する英雄となる歴史ドラマ。韓国では06年5月から07年3月まで放送された。現在(10月10日)第25話まで。主演男優のソン・イルグクの話しではこのドラマは当初60話で終える予定だったところ余りに反響が大きく且つ高視聴率に気をよくした会社の要請で結局81話にまで延長されたとか。延長に当たってソン・イルグクはスタッフの待遇改善(余りの強行撮影で俳優やスタッフがへとへとになったとか)を要求し会社側もそれを呑んだとか。

ドラマを見始めた当初単なるフィクションかと思って見ていたのだが地図を見て驚いた。ドラマに出てくる「古朝鮮(こじょそん)」とか扶余(プヨ)」という呼称は韓国の歴史書や地図に出てくる名称で、更にドラマが古朝鮮の英雄ヘモス将軍の子である朱蒙(弓の名手と言う意味)が扶余王朝を飛び出して高句麗(高麗)国を建国した実在の人物なることも判りますます興味が湧いて来、固唾を呑んでこれからの展開を見守っている。仏教は西暦552年百済から日本に入ってきたのだが当時の朝鮮半島は高麗、新羅、百済と三国が妍を競っている時代でこの高句麗(高麗の前身)を作るまでの物語がこれから展開されることになる。

参考までに朝鮮という国名は西暦1393年李成桂が定めたもの(従って古朝鮮はそれ以前の朝鮮と言うことになる)、首都は漢陽(現在のソウル)。(金両基著「物語韓国史」中公新書)

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東京に「みそさざい」ー久保田万太郎

「東京に出なくていい日みそさざい  万太郎」

万太郎が句会でこの句を出したとき「先生、みそさざいがいましたか?」と質問されて「見なけりゃ作ってはいけませんか」と答えた話しが成瀬桜桃子の本に出ていた。

内田百聞が表現と言うことについて面白い文章を書いている。「一本の樹を眺めて、それを作文に綴る。観察の仕方は人によって違うから表現方法も当然違ってくる。書き表したものには(そういう風に自分は見たのだ、そういう風にしか自分は考えなかったのだ)と言うその人の考え方、見方が表現されている。本人が表現の為に何かを利用したとしてもそれはそれで真実である。美しい景色を眺めたと云うだけでは、それは自分と相手の認識としては真実とは言われない。それを表現し得て初めて真実を人々に認識させることが出来ると自分は考えている」(百聞随筆)

俳句を作る場合に陥りやすいのは独りよがりの穴。自分がいくら美しいと叫んでも力量不足で相手に伝わらなければ通じない。あの景色が素晴らしかったと強調しても表現されたものが相手に伝わらなければそれは表現の仕方に欠陥があったと言うこと。

葭切の声やしばらく母訪はず  愛媛県 長谷部絹代

7月14日のNHK俳句王国で8人中7人、つまり全員が点を入れた句だ。平明な表現の中に葭切の鳴く声、風景、母への思いがぱーっと読者の胸の中に広がった・・葭切が実際にいようがいまいがその胸中に広がったものが全員の賛同を得たに違いない。表現の妙とは将にこの事だ。

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日本女性の黒髪は美しい

友人から貰った雑誌「ぺるそーな」(9月号)に作家の曾野綾子さんの「世界一の美女の黒髪」(産経新聞6.25日付)と題された記事が載っていた。要約すれば次の如くなる。

「今年のミスユニバースの栄冠を勝ち取った日本人女性の選出ポイントの一つにあの美しい黒髪があったのではないか」と言うこと。現在日本の多くの若い人たちがそうしているような金髪などに染める事なく、つまり日本人としての個性を生かしたからこそ世界一の美女になり得たと。更に戦後の一日本人女性について「終戦直後、当時の進駐軍の将校たちと接していなければならない立場にいた一人の夫人がいた。彼女は下町の生まれで英語は全く話さない。いつも小紋の地味な普段着を自然に着こなしていた。もちろん黒髪のままであった。彼女が相手の健康を気遣ったり、家族の祝い事を覚えていたり、日本人の伝統行事の心を説明したりする内容は通訳を通して充分に伝わる。そのためか敗戦国側の立場にいながら、彼女の魅力は、それなりの人気と尊敬を集めていた」そして曾野さんは「人としてその存在を認められる最初の一歩は、自分が自分であること、自分を失っていないというごく単純なことだ 。世界一の美女の黒髪はなかなか教訓的なのである」と結んでいる。

上滑りの美しさではなく心底美しいものは美しい。それは曾野さんが言うように自然のあるがままの美しさだ。本物が醸し出す自然の美・・我々は日本の国、自然、風土が持っている素晴らしさをもっと自覚すべきかも知れない。多くの人が「美しい○」に何かうさんくさいものを感じたとしたらそれは本物では無いことを感じているからかも・・・。

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この町で・・新井満

ペンクラブの会合が四国松山で開かれたとき作家であり作曲家でもある新井満さんは中村松山市長からこの詩を何とか歌に出来ないかと要請され一晩で作曲した。それがCDになり、彼はこれを松山市に寄贈して感謝されたという心温まる話しを聞いた。

「 戀をして結婚して母になったこの町でお婆ちゃんになって死にたい」

元になったこの詩は松山市が言葉の街おこし運動の一環として広く全国募集した多くの詩の中から偶々松山在住のカツラアヤコさんと言う女性が応募し松山市長賞を獲得したもので市庁舎の壁に貼ってあったらしい。街おこし運動にふさわしい誠に郷土愛に満ちみちた素晴らしい詩だ。たった一行のこの詩にカツラアヤコさんと言う女性の幸せな生き様、今や故郷となった松山に対する限りない愛情がほのぼのと伝わってくる。俳句の街松山への最高の献辞にもなっている。

以下 新井満さんが作曲し歌っているこの歌をご紹介する。

この町でーー作曲 新井満

この町で 生まれ
この町で 育ち
この町で 出会いました
あなたと この町で

この町で 恋し
この町で 結ばれ
この町で お母さんに 
なりました この町で

あなたのすぐ側に いつも私
私のすぐ側に いつもあなた

この町で いつか
おばあちゃんに なりたい
おじいちゃんになった あなたと
歩いて ゆきたい

(間奏)

坂の上に広がる 青い空
白い雲が一つ 浮かんでいる
あの雲を追いかけ 夢を追いかけて
喜びも 悲しみも
あなたと この町で

この町で いつか
おばあちゃんに なりたい
おじいちゃんに なったあなたと
歩いて ゆきたい

この町で いつか
おじいちゃんに なりたい
おばあちゃんに なったあなたと
歩いて ゆきたい

いつまでも 好きなあなたと
歩いて ゆきたい


カツラアヤコさんの原詩がこのように見事にふくらんでいる・・・作家である新井満さんの作詩に対する情熱は「千の風」で一躍有名になったが、彼が持っている優しさが今回も実に見事に生かされた歌だ。「般若心経」「青春の詩」「イマジン」「老子」「啄木」など彼の一連の作品に又新しいページが加えられた。

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«「土を眺めて」ー窪田空穂